【不屈の闘将】

旧海軍では空母部隊が編成されましたが新興兵科の航空機・空母を指揮できる人材が育っていませんでした。やむを得ず他兵科から指揮官を登用することになります。

海軍中将・角田覚治も砲術科でありながら第三航空戦隊、第二航空戦隊など空母部隊を率いてアリューシャン作戦、南太平洋海戦を戦うことになります。


 南太平洋海戦では本体の空母・翔鶴・瑞鳳離脱後、指揮を委譲されて旗艦・空母「隼鷹」を率いて3回も攻撃隊を送り出し米空母ホーネット撃沈の功績をあげました。

この時は攻撃隊の行動範囲外にも関わらず、「空母は全速で攻撃隊を迎えに行く、諸子の

奮闘を祈る」と言い送り出します。

また、敵攻撃隊来襲(誤報)の際は航空参謀の「航空機の上空退避」の進言に

無言でうなずく等状況判断も適切でした。

惜しむらくは年次が低く活躍すべき場が与えれれなかったことです。


テニアン島の戦いで地上戦において戦死されました。



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