【人命救助で戦力低下】

開戦時の連合艦隊司令長官は山本五十六ってのは知ってる方は多いでしょうが、終戦時の

連合艦隊司令長官が小沢治三郎中将(以下小沢中将)ってのは知ってる方は少ないと思う。



 小沢中将は智将として海軍部でも知られており、戦前には航空戦隊司令官を務めて航空戦にも精通していました。緻密な作戦で指揮能力も高く山本五十六の評価も上々。

開戦時は南遣艦隊司令官として陸軍と共同で南方作戦を成功させるなどしました。

南太平洋海戦後、空母部隊の第三艦隊司令官になりましたが、正規空母は2隻、航空機、

搭乗員の練度は低く、航空消耗戦に艦載機を取られて、じり貧になりました。

1944年のマリアナ沖海戦では圧倒的不利な中、航空戦を指揮し、結果「マリアナ沖の七面鳥落とし」とも言われるほど航空機、空母を失って、この時点で日本海軍は事実上壊滅しました。彼我の戦力差は絶望的で誰が指揮を執っても大した差はないだろうと思われますが。


 その後もレイテ沖海戦では囮艦隊を率いて成功させたりと指揮能力の高さを証明しましたが、戦局になんら影響することなく、最後の連合艦隊司令長官として混乱する海軍を

纏めるのが任務となりました。


 小沢中将は評価が難しい人物です。

指揮能力や作戦立案は上手いのでしょうがどちらかというと「情」に流されることが多く、

それが原因で大損害を被ったケースを紹介します。


①マリアナ沖海戦では索敵機が帰路を見失い、夜間に探照灯(サーチライト)を点灯して

誘導を試みました。結局、索敵機は帰還出来ませんでした。

翌日、艦隊は潜水艦の攻撃を受け、正規空母2隻撃沈。前夜の探照灯照射が潜水艦を呼び集めた可能性があります。


②レイテ沖海戦では上空警戒の零戦が着艦に際し、誤って海に転落。誘導員も1名転落しました。その後駆逐艦に転落者救助を命じましたが(2隻)、駆逐艦は救助後艦隊に合流できず(艦隊は北上、駆逐艦は南下)、燃料の都合上帰投。

結果、翌日の空襲で空母4隻、軽巡洋艦1隻、駆逐艦2隻撃沈の損害を受けました。

駆逐艦2隻がいれば多少なりとも損害は低い可能性も・・・。


 人命優先は戦場では通用せず「大の虫を活かすために小の虫を殺す」原則を忘れた

結果、多数の人命を失った・・・、というのは言い過ぎなのかな!?



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