【部下統率】

会社で上司、部下がいると思います。いろんな方がいると思いますが部下統率は

難しいですね。みんな考えや性格違うので・・・。

旧日本海軍に「木村昌福」という軍人がいました。

ミリタリー関係の方には馴染み深い方です。

今回は木村昌福さんの部下統率の手腕つにいて・・・。

木村昌福(以下木村提督)は海軍兵学校を118人中107番目の成績で卒業。ハンモックナンバー(成績優秀が高位の役職に就ける)でいえばロクな役職には就けません。

太平洋戦争開戦時は重巡洋艦・鈴谷の艦長を務めていました。

南太平洋海戦時のエピソードを・・・

木村提督が指揮の重巡・鈴谷が米雷撃機より右より雷撃を受けました。

航海長(艦の操艦責任者)は面舵(右に避ける)を命じたところ、左からも雷撃を受けました。左に舵を切れば右の魚雷に当たる!航海長が判断に窮して木村提督を見たところ・・・

「真っ直ぐ行け!」の一言。

結局左の魚雷は射点沈没(不具合でそのまま沈んだ)で右の魚雷を避けました。

戦後にこの件を問われたところ・・・

「どっちに舵を切って当たっても艦長が命令したので当たった」という理由を用意しておかねばいかないだろう」と述べたそうです。

「部下のミスにならないようにしたのですね」


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~米軍がフィリピン・ミンダナオ島に侵攻してきた際に、礼号作戦(ミンダナオ島砲撃作戦)を指揮した際のエピソードを・・・

当時は沈没艦船が多く、木村提督率いる部隊も3隻の駆逐艦しかありませんでした。

流石に3隻では話にならないので巡洋艦をはじめ5隻を他の部隊より集めて臨時に艦隊を

編成して攻撃に出掛けます。

往路において航空機の攻撃で木村提督直属の駆逐艦・清霜が沈没。艦隊はそのままミンドロ島へ進み砲撃は無事成功。艦隊は帰路につきます。

沈没艦船乗組員の救助をするか?しないのか?参謀が迷っていたところ・・・

「本艦(旗艦・駆逐艦・霞)と駆逐艦・朝霜が清霜の救助に当たる、他艦は帰路につけ!」と命じました。

普通は他の艦船に救助を命じますが、自分の部隊なので救助は自隊が当たり、借り物(応援部隊)は先に帰しました。

往路において清霜の救助を後回しにしたのは作戦を優先した「理」であり、復路において

清霜を自ら救助したのは「情」なのでしょう。

指揮官(上司)たるもの「情に溺れてはならないけど、情なくして人はついてこない」のではないでしょうか?


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